生活困窮者が増えて、水面下では欠食児童が増加することが予想されます。新型コロナウイルス感染症の影響で経済が大変な今、給食費の負担軽減を行っていただきたいと思います。 教育長にお伺いします。給食費支援は就学援助で支援しているし、児童・生徒数が多いから、それから、そのほかの子育て支援を推進しているからということで、給食費の無償化・助成は、今まで、本市では実施されませんでした。
〔12番 川名順子君 登壇〕 ◆12番(川名順子君) 家庭との連絡をとられているとご答弁ございましたけれども、欠食児童・生徒の家庭にどのように連絡をとられているのか、お伺いします。 ○議長(渡辺由紀雄君) 教育部次長。
戦前の欠食児童の救済にその始まりがある学校給食は、現在どのように位置づけられるべきなのでしょうか。子どもの貧困、フードバンクや子ども食堂の存在など、子どもの食をめぐる環境は一様ではなく、日々栄養に恵まれた食事をとっている子もいれば、学校給食が唯一のバランスのとれた食事をとる機会になっている子どももいます。
貧困の欠食児童に食を給すだけでは差別や心理的負担を持ってしまうので、そうならないよう配慮することから、全員給食になっていったという背景もあります。その一方、学校給食は法律の制定から教育として位置づけられ、食の安全、質の向上、地産地消などが広がり、食育基本法も制定されました。
欠食児童対策から、教育の一環と位置付けされてきました。 今回の質問に当たっては、ことしの初めに、地元の小学校の学校評議員をしている関係で、学校給食の試食をする機会があり、食べさせていただいたのがきっかけです。私の小学校時代は弁当持ちで、1回も学校給食を食べたことはありませんでした。 今回の試食会のメニューは、スパゲティで、大人の私でも味、量ともに大変満足できるものでした。
その後、各地で欠食児童対策としてパンなどが一部の学校で配られるようになりました。1930年代に入ると、学校給食臨時施設法が制定されて、一部ですが学校給食が実施されるようになりました。これは、栄養不良児の健康維持を目的としたものです。 しかし、1940年代は太平洋戦争での食糧不足のため、給食は中止になってしまいます。戦後は援助によって給食を再開し、後に学校給食は制度化されました。
今戦後のすぐだったらば欠食児童なんていうことで栄養失調の子供たくさんいましたから、バランスのいい栄養をたくさん上げましょうという、そういう趣旨での給食というのはあったのはわかるんです。ただ、このご時世において、そういう栄養素をもとにした給食の献立というのが果たして正しいのかと。それよりもまず味覚なのではないかなと。
欠食児童を減らすための、どのような努力がなされましたでしょうか、お伺いいたします。 ○議長(高野光二君) 教育長、青木紀男君。
私は、戦後生まれで体験はありませんが、戦中戦後の写真集などで見る欠食児童の姿が衝撃的であります。皆が昼食中、一人校庭で過ごす育ち盛りの子供の写真です。悲しく、寂しく、つらい写真であります。 私は、今回の教育現場での配付が、いろいろな事情で参加できない児童生徒の存在が、いわゆる税金のむだ遣いなどの批判は批判として、何よりもそれら子供たちの心に思いをいたします。
したがって、欠食児童や栄養不足を解消するのが目的だったのではないでしょうか。飽食、栄養過多の現代においては法の目的は達成されているはずですが、O-157の問題もあることですし、文部省はどのような指導をしているのか伺います。 質問の第5番目は、O-157汚染防止のための市民皆水道に向けての取り組みについてです。
このことはかつての欠食児童というおそるべき名称、またおかずを隠して食べたりした時代のことを考えれば歴然とする問題であります。いまこそ市は全力をあげて、公共的なこの種の料金を押えるべきときなのに、反対に40%も値上げしようとしているのであります。一体市長は、教育長は、市としての補助を含めて国、県にどれだけ働きかけしましたか。現在、国はわずかに牛乳1本につき5円80銭の補助しか出していません。